脱サラして感じたお金以外の労働の対価3つ

6月 20, 2017

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こんにちは、あやかです。

脱サラしてはじめた「なんでもお手伝い」。4ヶ月続いてます。「仕事」ではなく、「お手伝い」として活動することで、「労働で得られるモノは、お金だけじゃない」と強く実感するようになってきました。今回のブログは”自分が次に働き始めた時、わすれたくないな“って思った、労働の対価についてログリます。

関連記事:「なんでもお手伝い」はじめました

「なんでもお手伝い」で気づいたこと

お金以外の対価を意地でも見つけようとする –

「なんでもお手伝い」は基本的にごはん代+経費でやっています。
(アルバイトのときもあるんだけど。)

「今やっているコトに対して、お金がもらえるわけではない」状況。
どんな感じかもわからず始めたんですが、はじめてみると「意地でもなんか掴んでやる!」ってすごい労働意欲が高まることに気づきました。

私、もともとがケチなんです。笑

お金のために働いていると、
「給料に見合った働きをしなきゃ(見合った働きでいいや)」
ってつい思ってしまうんですが(笑)、
お金のためっていうのを一回外すことで
「今日、わたしが得たものってなんだろう」
っていうのをすごい考えられるようになりました。

お金以外の労働の対価

感じたことが3つあります。

ケチな上にビビりな私。
今まで「自分ができること+そのちょっと先」にしか手をつけようとしていませんでした。

それが、「なんでもお手伝い」を始めたことで、「今まで触れてこなかった領域(≒ちょっと苦手なこと)」にも挑戦できるようになってきました…!
(ポスター作りとか…)

苦手なことでも、やってみるとおもしろさがどこかにあって、「どうやったらうまくできるんだろう…」
って悩んだり、探したり。結果、うまくいかなかったこともたくさんあって、「次はできるように」ってまた探したり、練習したり。
それを繰り返していくうちに、ちょっとずつだけどできることが増えてきたように思います。

どんな労働でも、その対価として「経験」は得られるもの。だけど、「お金」っていうのを一度外してみたことで、経験させてもらえることの「ありがたみ」や「おもしろさ」に改めて気づくことができています。

わたしは周りの人にめぐまれているなぁ…と、よく思います。

大切な仕事の一部を、アマチュアですらない、ド素人の私に分け与えて、経験を踏ませてくださる方がたくさんいらっしゃるんです。本当だったらご自身でやられた方が早くて楽なこともたくさんあるはずなのに…。本当にありがたいことです。

また、いろいろなことに関わらせてもらうことで、今まであまりお話したことがなかった世代の方(シニア世代の方など)や、出会う機会のなかった職業や生き方をしている方にお会い出来るのも嬉しいです。改めて自分の視野、知見の狭さに気付かされます。

さらに、一つのお手伝いから、また別のお手伝いへ人のつながりが増えていくのも実感できています。こういった、すてきなつながりを持てることに日々喜びを感じています 🙂

①経験と②人とのつながりが深まることによって、「こんなこともできるかも!」と「未来の可能性」も見えてきたような気がします。

まだはっきりとした未来は見えないけれど、生きたい人生を生きるため、なりたい自分になるため、少しずつだけど前に進んでいます:)


経験も人とのつながりも、もっともーーーーっと広げていきたい!

なんでもお手伝い、ご依頼、お待ちしております!

ではまた。